3.うつ高齢者のための地域ケア
うつ高齢者のための地域ケア 仙台市の地域ケア事業について
うつ病が高齢者の自殺に深く関係していることは,先に述べたとおりです.それではどのような仕組みがあれば,地域の中でうつ病の高齢者を早期に発見して自殺を防ぐことができるのでしょうか,どのようにすればうつ病を予防することができるのでしょうか.このような対策を検討するために,「地域にはいったいどれくらいうつ状態の高齢者がいるのか」,「高齢者のうつ状態はどれくらい自殺に関係しているのか」,あるいは「高齢者のうつ状態の背景にはいったいどのような問題があるのか」ということを仙台市で調査してみました.そして,その調査結果に基づいて,具体的な地域ケアプログラムのモデルを作り,その効果も調べてみました.ここではこうしたお話をさせていただきたいと思います.
鶴ヶ谷プロジェクト(2002〜2004)
仙台市では,東北大学と協力して,2002年〜2004年に「鶴ケ谷プロジェクト」という調査研究を実施しました.仙台市の鶴ケ谷地区とは,昭和41年に宅地造成された巨大ニュータウンで,分譲住宅や公営団地が混在する住宅地域です.2002年の調査時点で,人口が約17000人,高齢化率が約25%でした.
鶴ヶ谷地区の高齢化率の推移
この地域は近年高齢化が著しく,その勢いはわが国の高齢化の勢いを遥かに凌ぐものがあります.平成元年に地区内のほとんどの区域で高齢化率は全国平均を下回っていましたが,平成15年にはすべての区域で全国平均を上回り,いくつかの区域では高齢化率が30%を超えています.
Suicide Rate in 2002
こうした地域はしばしば局地的に自殺率が高い場合があるようで,2002年のこの地域の自殺率は日本一自殺率の高い秋田県よりも高い数値を示していました.
鶴ヶ谷地区の高齢者の抑うつ症状と自殺念慮
調査の結果,鶴ケ谷地区にはうつ症状のある方が約20%,小うつ病エピソードの基準を満足する人が約10%,大うつ病エピソードの基準を満足する人が1.8%,自殺についての反復思考を認める人が4.5%,過去2週問以上にわたる自殺念慮を認める方が3.1%に認められました.ちなみに,自殺率が日本一高い秋田県で同じ方法で調査された研究では,うつ症状が75歳以上の高齢者の9.7%であり,我々と同じ質問方法で行なわれている青森県の調査では,自殺についての反復思考が2.3%,過去2週間にわたる自殺念慮が0.6%と報告されています.このことは,高齢化が急速に進行する都市部の大規模住宅地域のうつ病や自殺の問題が,農村以上に深刻である可能性を示唆しています.ただし,大うつ病と小うつ病については,世界中で行われた研究の平均的数値が示されており,それと大体同じ値でした.
都市のお年寄りが危ない
仙台市では,2002年〜2004年にかけて,市内の大規模ニュータウンをフィールドに,自殺予防と介護予防という視点から,高齢者のうつ病と自殺念慮に関する疫学研究が実施されています.その結果,うつ病や自殺の問題は,決して農村部だけの問題ではなく,むしろ高齢化が急速に進行している都市の住宅地域も極めて深刻な状況にあるということがわかりました.
高齢者の「うつ」の関連要因と健康状態に及ぼす影響
ここで実施された横断研究と前向きコホート研究のデータを基礎にして,高齢者のうつ状態の危険因子や,うつ状態が高齢者の健康状態に及ぼす影響が明らかとなりました.
ソーシャルサポート欠如が抑うつ症状発生に及ぼす効果
ここでいうソーシャルサポートとは,ここにあげた5つの質問で評価されたものです.右側にある数値はオッズ比と呼ばれているものですが,これは,今現在「うつ」でなくとも,困ったときの相談相手がいないと翌年にうつが現れる危険性が3.1倍高まり,体の具合が悪いときの相談相手がいないと2.2倍,具合が悪いときに病院に連れて行ってくれる人がいないと2.0倍,寝込んだときに身のまわりの世話をしてくれる人がいないと2.7倍うつが出現する危険が高まることを示しています.
ソーシャルサポート欠如の者場合
しかも,同じ調査を実施した農村部のデータと比較すると,都市部では,困ったときの相談相手がいないと感じている人,体の具合が悪いときの相談相手がいないと感じている人,日常生活を援助してくれる人がいないと感じている人,病院に連れて行ってくれる人がいないと感じている人,身のまわりの世話をしてくれる人がいないと感じている人が非常に多いことがわかります.
高齢者の「うつ」の関連要因と健康状態に及ぼす影響
ここで実施された横断研究と前向きコホート研究のデータや,過去の先行研究の結果に基づいて,高齢者の「うつ」の背景因子や,うつ状態が高齢者の健康状態に及ぼす影響を図示するとこのようになります.
仮説うつ状態の一次、二次予防は
したがって,高齢者の「うつ」の背景因子を緩和するような一次予防活動と,うつ病の早期発見・早期治療を目標とする二次予防活動を組み合わせた複合的地域介入プログラムが,高齢者の自殺予防と介護予防に寄与するという仮説を立て,
うつ高齢者のための地域ケアプログラム
実際に,一次予防と二次予防を組み合わせた総合的介入プログラムを策定し,2年間にわたる介入研究を実施しました.
普及啓発プログラム
普及啓発プログラムは,「自殺」や「うつ病」の問題について地域の人々の意識を高め,偏見を解消し,住民主体のこころの健康問題への取り組みを促進することを目的としています.また,メンタルヘルスの知識と技能を有する人材を育成することによって,地域ケアプログラムそのものの運用を円滑にし,事業の質を高め,発展させていくことを目的としています.ここには,地域住民を対象とする普及啓発プログラムと保健医療福祉専門職を対象とする研修会があります.
アセスメントプログラム
うつ病アセスメントと訪問ケアは仙台市健康福祉局高齢企画課の事業であり
相談プログラム
相談プログラムでは,自治体の保健福祉センターや地域生活支援センターなどに相談窓口を開設し,メンタルヘルスの専門的な相談に対応します.通常は,「総合相談窓口」や「電話相談窓口」の中で,担当スタッフ(精神保健福祉相談員・保健師・看護師など)が相談に応需し,必要に応じて,精神科医などによる専門相談(「こころの健康相談」など)の利用に繋げます.
訪問プログラムとケースマネージメント
訪問プログラムとは,精神保健福祉に関する専門的な技能を備えた専門職(保健師,看護師,精神保健福祉相談員など)が,介入二一ズのある高齢者の住まいを定期的に訪問し,個別的な心理社会的ケアを実践するものです.訪問ケアを行う地域のスタッフは,精神科医によるスパーバイズを受けることができます.また,関係スタッフでケースカンファレンスを開催し,問題点を共有して,チームで介入プランを検討したり,訪問スタッフの心理的負担を軽減するために,スタッフの悩み事にチームで対応したりします.
小地区単位の事業、地域生活支援センター活動
また,小地区単位で実施されている地域生活支援センターでも,うつ状態にある高齢者を支援する事業が展開されており,
うつ病高齢者に対する訪問ケアとケースマネージメントの効果(1)
このような訪問ケアとケースマネジメントをうつ病高齢者37人に実施しましたところ,1年後には抑うつ症状は改善傾向を示し,精神的健康度も有意に改善しました.
うつ病高齢者に対する訪問ケアとケースマネージメントの効果(2)
また介入前には自殺念慮がうつ病高齢者の27.O%に認められましたが,1年後には10.8%に減少しました.
介入プログラムの全市化に向けて(2004〜2006年)
また,2004年〜2006年にかけて,本地域介入プログラムを全市的な事業とするために,マニュアルと教育用CDを作成し,段階的に事業範囲を拡大したところ,
仙台市の年齢階層別自殺死亡率の推移
1994年〜1997年および1998年〜2001年までの4年間に比べ,2002年〜2005年の4年間で,70歳以上高齢者の自殺死亡率が減少する傾向が認められはじめてきています.一方,このような高齢者の自殺率の低下というポジティブな成果とは対照的に,このグラフは30代〜50代の働き盛り世代の自殺率が高まっていることを示しています.そうしたことから,現在は,世代を超えた自殺対策が,仙台市全域の事業として新たに展開されるようになってきています.
仙台市抑うつ高齢者等地域ケア事業(地域包括支援センター職員)
仙台市は人口約100万人の政令指定都市ですから,事業を全市的に広げるためには,多くの人々に事業を理解してもらったり,事業に直接関わる人材を育成したりする必要があります.これは,仙台市にある41の地域包括支援センターの職員を対象に実施した仙台市抑うつ高齢者等地域ケア事業の研修会の一場面です.
仙台市抑うつ高齢者等地域ケア事業(区単位の普及啓発活動)
これは区単位の事業ですが,上の写真は宮城野区で行われた住民参加型のシルバーフェスティバルのロビーにブースを設けて,展示物やパンフレットを用いてうつ病についての普及啓発活動をしているところです.下の写真は,宮城野区で,この事業に直接関わっているスタッフを対象に,介入方法などを勉強している研修会です.
仙台市抑うつ高齢者等地域ケア事業(全戸配布による普及啓発活動)
これは,宮城野区の民生児童委員を対象とする研修会ですが,300人以上の民生児童委員の方に事業の内容を理解していただいております.
仙台市抑うつ高齢者等地域ケア事業(全戸配布による普及啓発活動)
これは仙台市に全戸配布されている市政だよりで,ここにも特集記事を載せて,全市民に,うつ病の知識を普及し,自殺対策について理解してもらう努力をしています.
他県で行われている高齢者のうつ対策(1)
このような高齢者のうつ対策は,近年は,介護予防事業と連動して,全国各地で試みられてきています.上の写真は岩手県久慈市で行われているボランティア活動,下の写真は秋田県藤里町のサロン活動
他県で行われている高齢者のうつ対策(2)
この上の写真は長野県阿智村の回想法教室,下の写真は鹿児島県日置市のリラックス教室です.
英国でも紹介された仙台市の地域ケアプログラム
仙台市の地域ケアプログラムは英国の出版社から刊行されるメンタルヘルスのガイドブックの中でも紹介されています.
ポピュレーションアプローチとハイリスクアプローチ
私たちが,こうした地域活動を通して学んだことは,ポピュレーションアプローチとハイリスクプローチで構成される「うつ高齢者の地域ケアプログラム」が高齢者の自殺予防や介護予防に寄与する可能性がある,ということです.
おまけ
そして,こころの健康増進と自殺対策で大切なことは,人々のメンタルヘルス・リテラシー(精神保健の知識・教養)とソーシャルキャピタル(社会関係資本)を高めることである,ということです.